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連続シリーズみたいになっていますが、また書こうと思わせてくれた事がありました。

一時支援金の事前確認に来ていただいた方が、読んでくださったようで、

「その後どうですか」と聞いてくださいました。

なんと、お優しい。

忙しさにかまけて、初心を忘れていました。

このような個人的なブログを読んでくださったことに感謝し、少しでも同じような悩みの方にエールを送れればと改めて思いました。

 

さて、長男ですが、四年生になりました。

大阪の小学校にいた長男ですが、四年生からはこちらに戻ってきて、また元の小学校に通うようになりました。

大阪では、たくさんのいい出会いがあり、その中でも彼が心底信頼のできる教頭先生と出会えたことは、長男の中で生涯の宝物となる出来事だったと思います。

大阪にいる間は、毎週末、夫は大阪まで新幹線で行っていたようです。

それは本当にすごいことだと思いました。

こちらの生活は、大阪の義理の両親が手伝いに来てくれるのかと思いきや、向こうもギブアップ。

こちらに戻ってきてからは、夫と長男で元のマンションで暮らしています。

当初夫は、「俺だって仕事セーブしなくちゃいけくなるし、その予定で動いている」

なんて言っていましたが、今のところ土日も終日仕事に出ていることあるし、はたから見る限りそんなに変わるような感じではありません。

とはいっても、好き放題残業できなくなったので、本人なりにとても頑張っていることかと思います。

ただ、「僕と彼女と彼女の生きる道」のように素敵なストーリでは今のところなくて(笑)

(昔の古いドラマなので知らない人多いかな?)当時、家庭教師役の小雪のセリフに感動した記憶が。

まだ始まって1か月しかたっていないのでこれからかな、といった感じです。

母親なので、やはり平日の食事のことは心配です。

朝6時過ぎには、今まで通り夫は出勤することがほとんどなので、

一人で起きて、ごはん食べて学校にいっているのか、

学校でうまくやっているのかや宿題の心配より、

基本的な生活ができているのかの心配の方が、大阪にいるとき以上に心配ではあります。

平日行ってあげれば?という声もありますが、次男が帰ってきたあとに行ける余裕はないです。

一緒に住めない以上口出しはできないので、見守るしかないと思っています。

 

ちなみに次男は、今年から小学生に。別の小学校に通い始めました。

これも長男が戻ってくるかも、なんて話が出た年明けから、かなり悩みました。

「案ずるより産むが易し」

悩んだけど、今をこうやって生きています。

家族みんな元気でありがたい。普通に会えるのがありがたい。

毎日一緒にいて、あの生活が続いていたら、きっとあの頃の私だったら生き地獄で到底このように思えなかったことでしょう。

当時は、本当に苦しかったんだよね、私。

巷では、暴力振るうようになった息子とその兄妹の話をきくこともありました。

保護されるのは暴力振るう息子ではなく、被害を受けるそのほかの兄妹とのこと。

なんと理不尽なことがこの世の中にあるんだろうと思いました。

 

ところで、「幸せって何?」と思うことありませんか?

生きている限り、一生悩みは尽きません。それは断言できます(笑)

ではどのような状態が幸せというのか、

それは、どのような状況環境でも自分自身の心で感じきめることなんだと。

あとは、苦境にたったときに、自分の殻に閉じこもらないこと、

同じ思いをしている人を、少しでも励まそうとすること自体が幸せの道だと感じています。

だけど、殻に閉じこもっている期間があってもいいと思います。

すべてが、ポジティブシンキングでいけるわけじゃないのも知っています。

人は私のような生き方をみて、自分が実際に体験していないことについては、想定される範囲のことで色々言うでしょう。

中には共感してくれる方もいるかもしれません。

ただ、同じように苦しんでいる方同じような境遇の方に、

子供と一緒に暮らさない選択もあることを知ってもらいたいです。

現に施設で暮らして、週末など親と面会するケースもあるようです。

私のような状況では、事件がおきるまでは、警察も児童相談所もほぼ動けません。

あまりこのようなこと言う人はいないと思いますが、

一緒に暮らさない選択をする方が、親にとっても子どもにとってもお互いに言いケースだって世の中沢山あるはずです。

そのことを踏まえて、

「どのような選択をしてもいいんだよ~。」と心から伝えたいです。

 

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